気ままに映画鑑賞記録

見た映画 ドラマのネタバレ感想かいてます。備忘録的な感じになります

ドキュメンタリー映画『オトトキ』をペチコートからビリーバーになっても追い続けるファンがネタバレ感想を熱く語る‼︎

 

1988年に結成した日本のロックバンドTHE YELLOW MONKEY

ライブには大勢のお客さんが押しかけるのに、CDは売れないという、セールスに伸び悩んでいた初期時代もあった。
しかし、アルバム『Smile』以降、名実ともに死んだら新聞に載るようなロックバンドとなった。
2001年活動休止を発表、2004年に解散した。
15年の沈黙を破り、2016年1月8日に再結成、
5月11日から日本全国アリーナ/ホールツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を開始。
松永大司監督自身がツアーに同行し、カメラを手にバンドメンバーを撮影したドキュメンタリー映画

彼らはこの映画のためにバンドの原点であるライブハウス「渋谷La.mama」で無観客ライブを行った。その演奏姿が所々に散りばめられている。

 

 
『オトトキ』をファン歴20年以上の私が、ネタバレあらすじと共に熱く感想を語っていきたいと思います。
想いが強すぎで、少々理解不能な表現もあるかと思いますが、ご了承ください(苦笑)

 

 

 

 

 

 

①オープニング

渋谷Lamama

ロビン 上下赤紫スーツで、到着
「ワンワン‼︎」犬の鳴き真似をするロビン
カメラの前でおどけて見せるところは、昔と変わらない

続いてエマ 水を飲みながらVサイン
八重歯が、やっぱり可愛い。

次にヒーセ おやびんはやっぱりカッコいい。

無観客のステージで4人は準備を開始。

そこから、Subjective Late Showの演奏が始まった。

熟された4人の演奏。

そして、インディーズから、メジャーデビュー後の軌跡を辿っていく映像が流れた。
あぁ、懐かしい。
そうそう、このこの曲。色んな想いが込み上げてくる。
映像の最後に、こんな文字が流れる。

2001年活動休止。。。
そして3年後、解散、、、

それを見た瞬間、あの時の感情がフラッシュバックした。
涙?そんなものはとっくに枯れ果てた。
いや、もう、泣くのは辞めたかった。
たとえ彼らが4人揃うことがもう無かったとしても。私の心には、あの時のままの彼らがずっと一緒に居るから。
彼らに涙はもう見せない。見せたくない。そう心に誓った。

そして、いつの日か死ぬまでに一夜限りでも4人揃ったところが見れれば、それでいい。
そう思っていた。
それから15年。

申年にメジャーデビュー
申年に解散。
そして、2016年
申年に再集結

THE YELLOW MONKEY
ちょっとスーパーな野良犬になって帰ってきたのだ。
バンド名の由来は、もちろん日本人を意味するyellow monkeyなのだが、別の意味も存在することを、あなたはご存知だろうか?

画数にこだわるロビンは辞書で調べたところ、
yellow monkeyには、"いたずらっ子"という意味も辞書に載っていたそうで、画数的にTHEを頭に付けた方がよいとして、THE YELLOW MONKEY となった。(吉井和哉曰く)
いたずらっ子4人組は粋な事をする。
猿だけに、申年デビュー、申年解散、申年再集結。
昔から彼らには振り回されっぱなし。

 


②再集結初ライブ模様

そして、みんなが待ち望んだ
再集結後の初のライブ
バックステージの4人は、やはり緊張しているのだろうか

ライブ開始を待つファンのインタビューには、
「復活してほしいのと、復活してほしくないっていうとあれなんだけど。伝説のままでいてほしいっていう気持ちも」
というコメントがあった。
わからないでもない。だが、私はこう思う。
彼らはただの伝説ではない。
生きる伝説になったのだ。そして、その伝説は日々更新されていく。これからずっと。
そして、
ライブ会場ではカウントダウンが始まった。
外には巨大モニターが設置されていて、ライブ会場外でもファンが集まっていた。

そして、プライマルが、一発目。

この曲は活動休止中にリリースされた曲。
一言で言ってしまえば、別れの歌だ。
この曲を聞いた時、私は解散を予感していた。
『旅立ったら消せそうじゃん』
ロビンはyellow monkeyから離れようとしている。
初めて聞いた時、そう感じた。

けれど、15年の月日が過ぎて、
その曲で第二章の幕が開いたのだ。
旅立って、離れ離れになった4人は再び集まり、パワーアップして帰ってきた。
復活ではない、再集結なのだ。
時間が止まっていただけ。
再集結第一弾のシングル
alrightはこんなフレーズで締められている
『もう一度運命の
タイマーを回して
今夜 準備 ALRIGHT!』
そう、新たな伝説が動き出したんだ。
私の時間も動き出した。
たとえるなら、
凍結されていたあの時の深い傷口から、生ぬるい血が流れ出す。その生ぬるい暖かさで、初めて傷を負った事に気付く。
しかし、その痛みや血の温もりは、
あぁ、私は生きてる。確かに生きてる。
彼らと共に生きているんだ‼︎という証になった。
そして、その愛おしい痛みは、私の財産になった。
誰からも奪われることのない、心の財産。
私はオトトキを見ながら胸の高鳴りを抑えられなかった。

会場の客席が映る。
ファン達は涙ぐんだり笑顔で喜ぶ人もいた。
それぞれが、それぞれの思いでライブに臨んでいるのだ。

③青木さんのインタビュー


青木さんは、1997年からツアーマネージャーとして関わり始め、解散後は吉井さんのソロ活動をささえ、再集結のプロジェクトの中心的な存在。

ネガティブな意味ではなく、ゼロ以上、マイナスからというなにか、おっきなものがあるので、
貧乏くさいことしたくないっていうか、知っているお客さんがみて、こんな集まり方やだなって、思って欲しくないと思ったので。と
この方も(青木さん)、今のyellow monkeyにとって必要不可欠な存在だろうと私は思った。

そして、ライブではロビンがMCで、
こんなに沢山の人が待っていてくれたんだなって、感謝しかないって。

こちらこそ、感謝しかない。
ありがとう、再集結
彼らと同じ時代に生まれたことを、神様にもありがとうと言いたい

 

④菊地兄弟、父の他界について語る

ライブツアー中、菊地兄弟のお父様が亡くなった。
2016年7月27日 菊地昭二 永眠

親父の目が行けと言っていると感じて、仕事に向かおうとしたが、病室に結局戻ってしまって、その時、親父はもう意識はなかったけれど、弱い男だなと思ったとアニーは言っていたが、
アニーはメンバーの中ではみんなの弟的な存在でありながら、一番、実直で堅実的で一番強い人間だと私は思う。
給料10万しかなかった頃、一年で100万貯めたという逸話の持ち主だ。ある意味、ロックスターらしかなる人柄かもしれないが、ステージではメンバーを一番後ろから見守っている。
そんなアニーの実の兄であるエマは
父の他界のタイミングが、
再始動してからでよかったのかなと。
またパフォーマンスしている時でよかったのかなと。

二人に不幸があったあと、
ロビンは「さらなる高みへ」と言ったことに対して、吉井もそんな気持ちでいてくれるのかと。
ヒーセも「おう!」と言ってくれたと。
普段はぜったいやらないのに、ライブ開始前にヒーセはみんなをそれぞれハグしたそうだ。
アニーはそんなヒーセが愛おしいと言う。

そう、このバンドは仲間以上、家族のような関係性なのだ。

菊地兄弟の父は『球根』が好きだったそうだ。
エマは、神戸2日目でやった'球根'は特別な、一生忘れられないものになったと言っていた。

球根は私にとっても特別な曲。
初めて自分で彼らのCDを手に取ったのが球根だった。
初めて聞いた時、何かはわからないが熱い思いが込み上げた。それはのちに、この曲が『命』そのものを歌っているからだとわかった。

球根を演奏するエマの表情は、父へ想いをはせているのかのようだった。

映像には右端に縦書きで歌詞が表示されていた。
私は聴き慣れたこの球根を、噛み締めながら聴いた。

この曲をカラオケで歌う時、私は全身全霊の力を込めて歌う。歌い切った後は抜け殻のようになる。
命を削っているのだ。
ロビンの歌う球根は、まさに命そのものを歌っているかのようだ。私は少しでもそれに近付きたい。いつもそう思って歌っている。

 

⑤ヒーセのインタビュー


球根の映像のあと、ヒーセのインタビューに繋がっていく。
息子さんの話から始まった。学校へ来ると
なんか、おれの親父目立つんだけど、、、って育ち方してるから、18になって、初めてyellow monkeyのライブをちゃんと見て、おれの親父のやってるバンドってすげーんだな、yellow monkeyってすげ〜んだなって目の当たりにしたっていうか、見方が変わったんじゃないかなと。ヒーセの表情がやはり父親だった。嬉しいような恥ずかしような。我が子のこととなると、やはりビックスターでもそうなるんだなと。

 

⑥トニー・ヴィスコンティのインタビュー

 
トニー ヴィスコンティのインタビュー
デビッド ボウイ  T・レックスらの作品を手掛ける音楽プロデューサー。
プライマルをプロデュースした人物。
トニーにも、ロビンが活動休止する前、悩んでいることを感じ取ってたと言う。隠せないほどにロビンの心はボロボロだったのかもしれない。

La.mamaの映像が流れる
Fatherの演奏模様。

yellow monkeyにはファンの間で家族三部作と言われている曲がある。
その一曲がFatherだ。
5歳の時に亡くなったロビンの父親。
だからか、ロビンはずっと8月が来るたび、26歳になるまで(父親が亡くなった年齢)怯えていたそうだ。

『もしも僕がただの灰になっても
嘆かないでFather
愛してるよFather

歌詞にはよく、灰になってもという表現が使われる。
それは、常にロビンは死を意識しているからでは無いかと私は思う。
事実、メジャーデビューは奇しくもロビン26歳の時だった。自分で作り上げた父親の呪縛からようやく解放されたからかもしれない。

 

⑦ロビンのインタビュー


La.mamaの映像から、ロビンのインタビュー
ロビンの音楽のルーツについて語る

片親で育ち、中卒の少年は置かれた環境の元でロックに目覚めた。
偏りのあるあの歌詞は、そんなロビンの内面を反映しているんだろう。
私は、こんなにも人間くさいロックスターを他に知らない。弱くて儚い。だからこそ、もがき苦しんで、そこから生み出されるものは私たちの心に刺さるのだ。耳にではなく、脳みそに、記憶の海馬に直接突き刺さる、そのメロディ、歌詞は、一度聞いただけでは理解出来なくても、聴けば聴くほど、中毒になる。そんな音楽。それこそが、ロビンであり、吉井和哉であり、the yellow monkeyなのだ。

活動休止になったことに対しての、それぞれの思いも語られた。

今だから話せること、今だから冷静にわかること。色んなことを考えて語ってくれたのだろうと思う。

リハーサル模様の映像が次に流れた。
こんなふうに、一曲一曲、4人で話し合って、作り上げていってるんだなと、しみじみ思った。

そこから、再集結のキッカケについてのロビンのインタビュー

イギリスへローリングストーンズのライブを観に行ったロビンは、そのあとメンバーにもう一度僕とバンドをやってくださいとメールを送ったという。

バンドって、グループって宝だなと思ったとロビンは言った。
そうだね、ロビン。
ロビンにとって、メンバーにとって、yellow monkeyはホームなんだね。私はそう思う。

12月14日、愛媛
その日、ロビンは体調不良のためリハ無しで、病院で点滴をしてから直行でライブ開始となった。

そんな舞台裏の状況を知ると、余計に愛おしい。

そこから、またLa.mama
lovers back street
この曲を作った時、いける!と思った、思っちゃったと言っていた。

そして、12月28日
結成記念日である武道館ライブ。
メンバーにとっても、ファンにとっても特別な日の特別なライブ。

そこで聞く悲しきエイジアンボーイはさらに特別だ。

私は一度しか12月28日の武道館ライブに行ったことがない。
それでも、オトトキの映像で、武道館ライブのエイジアンボーイが流れると、無意識に会場のみんなと一緒になって手を振っていた。

そして、トニーのインタビュー。
常に自分を向上させたい。
勉強はずっと続けている自分への課題だという。
私は深く共感する。
今、こうして記事を書いていることも、自分のスキルアップに繋がると信じている。

2016年12月31日
NHK紅白歌合戦 出演

私はこの日が来ることを待ち望んでいた。
紅白に彼らが出る。そして、JAM。
考え深い。

 

⑧幕張


2017年 1月1日
countdown JAPAN 16/17
幕張

ロビンの喉の調子が悪い。心配。

声が全然出なくなってしまったロビン。
ファンに待っててと言って、ステージを後にする。

休憩を取ったあと、一曲だけやってごめんなさいと、それで終わろうと青木さんは言ったが、ロビンは、いや、声出なくてもやろうと言った。

ロビンはスチーム吸入器をやった後、ステージに戻る。

そのあとの
バラ色の日々。
会場のみんなが一緒に歌う。

La.mamaでロビンインタビュー
解散の時のメンバーがどう思ってたのか聞かないのか、という質問に対して、ロビンは聞けないと言った。
そのあと、4人で、La.mamaに帰ってこれて、ありがとうとロビンは言った。
この一言が全てを物語っている。
素敵なメンバーに捧げたいと思いますとメンバーに伝えた後、
バラ色の日々の演奏が始まる。

この曲はファンの間では、yellow monkeyの応援歌と言われている。

再集結後のファンクラブ名称の由来にもなった曲。
曲の最後にbeliever ‼︎と叫ぶ。
信じる者、直訳すればね。私は彼らを、彼らの音楽を信じている。
だって、いつだって側にいてくれた。
辛い時、苦しい時、逃げ出したい時、
彼らの音楽が肩を寄せて慰めてくれた。
抱きしめてくれた。
背中を押してくれた。
私の人生の一部。それが the yellow monkey

La.mamaの映像がまた入ってきた。

『Romantist Taste』
この曲を聞けば、自然と体が動き出す。
メジャーデビュー曲。


⑨エンドロール


演奏が終わるとエンドロールと共にhorizonが流れた。
なんとも心地よい、切なくて、愛おしい。
再集結後のyellow monkeyの音楽は、ギラギラしていたあの頃と少し違う。
月日を重ねて、年齢と共に、余計なものを脱ぎ捨て、感じた物をそのままストレートに飾りたてず歌う。信頼しあっているメンバーだからこそ、奏でることの出来るメロディーにのせて、流れるその音楽は心に刺さる音楽から、心に染み込む音楽になったのかもしれない。
厚化粧でクジャクの羽根を付けて歌い出した少年は、今も派手な衣装は着ていても、心は洗い立ての白いシャツのようだ。

horizonの音楽のバックには
ファンたちの映像が流れる。
その映像には子供達もたくさんいた。
世代を超えて、愛されるyellow monkeyの存在の大きさをひしひしと感じる。
そして、みんな笑顔だ。
これからの未来にみんな期待しているのだろう。
私もその一人。

私の未来にこれからもthe yellow monkey は側にいる